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こけし小噺第三回 「瀬谷親子のたこぼうず」
 暑中お見舞い申し上げます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
東北の夏をナメきっていた猫空でございます。
ウチはクーラーないものですから、
暑くて暑くてね〜。
私はふんどし、息子はフルチンですごしております。
大人も子どもも股間の風通しって大事ですよね。
急な来客には居留守を使っている今日この頃。

さて、相変わらず蝸牛ペースのこけし小噺。
今回は、私とたこぼうずの出会いについて、語らせていただこうと思います。
そもそもこの連載は、私たちがこけしについて学んだことを、
皆様にお伝えすべく始まったものですから、
私の個人的な体験をつらつら書くことに、少々ためらいがございます。
しかし、私がたこぼうずにとりつかれるきっかけとなった、
あれをどうしてもご紹介したく、筆をとりました。
どうかご容赦くださいませ。

問題のたこぼうずがこちら。




出会いは、いつものこけし旅の途中、遠刈田のあるこけし屋にて。
段ボール箱の奥に気配を感じ、がさがさ新聞紙をかき分けてみると、
そこにいたのは、見たことのない奇妙なこけしでした。
かっと見開かれた瞳に、赤い隈取、毒々しい胴模様。
まだたこぼうずの存在を知らなかった私にとって、
この子はとんでもないフリークスに見えました。
少々興奮気味に、店主氏にこの子の生みの親についてたずねると、
「ああ、瀬谷幸治さんね。病気になってもう作ってないよ。」というつれないお返事。
ご病気とはお気の毒に。
周りを見渡してみると、似たような顔立ちの子があちらにもこちらにも。
いやいや、落ち着け、他にも心打たれるこけしがあるかもしれぬ、と、
この子をそっと段ボールの中にもどし、店内を一巡。
またまた背後にただならぬ気配を感じ、おや、これはどなたの作だろうと、
裏を見ると、「瀬谷幸治」の署名。
瀬谷幸治!ここまで私の心を震わすとは一体何者!?
悩んだ末に、最初に手にしたこの子を連れて帰りました。

瀬谷幸治は、昭和27年3月19日、こけし工人瀬谷重治の長男として生まれます。
昭和47年、20歳のときから、父について木地修行に明け暮れ、
たこぼうず界若手のホープとまで呼ばれるように。
カメラに向かって晴れやかな笑顔を向けた写真も残されています。
しかし、そんな幸治を徐々に病魔が蝕みます。
今ではこけし製作からも遠ざかり、療養の日々を過ごしているのだとか。
残念です・・・。本当に残念です・・・。
幸治さんのこけしからにじみ出ているアンバランスさ。
私はそいつにいつもぞくぞくしているのです。
几帳面さと大胆さが同居し、緻密かと思いきや奔放な筆運び。
何かを見ているようで何も見ていないその視線。
その視線を追う内に、気がつけばここは知らない世界。
幸治さんが作るこけしは、異界への水先案内人なのです。

ちなみに、幸治の父、瀬谷重治は、芳蔵から教えを受けました。
その作風は「一様に穏健で平凡」と評されましたが、
いやいやどうしてどうして。
福島土湯で出会った重治さんのこけしは、
そんな評価を吹き飛ばす狂気の表情を見せていました。
こちらが重治さんのこけし。



善吉、芳蔵と同じく、こけし工人親子だった重治さんと幸治さん。
ノンシャランなたこぼうずの系譜を受け継ぎ、
数々の怪作を残しています。
しかし、重治さんは、平成16年、80歳でこの世を去り、
幸治さんは、いまだ病気療養中です。
あぁ、こんな、こんな、ぞくぞくするこけしを作っているのに〜。
もったいない。ああ、もったいない。
どうか一日も早いご回復をお祈りしています。
幸治さん!カムバーック!カームバーック!!!!

では今回の小噺はこの辺で。


猫空著


| こけしぼっこ | 23:55 | - | - |
こけし小噺 第二回 「たこぼうずの息子」
 初春のお慶びを申し上げます。
2010年も、こけしとこけしを愛する皆様に幸あれ。
今年も仙台こけしぼっこをよろしくお願い致します。

★画像1

                                             

さて、久しぶりのこけし小噺でございます。
第一回では、たこぼうずの祖、岩本善吉の生涯についてお話しました。
善吉の破天荒人生をたどればたどるほど、
このような父親を持った、息子芳蔵の存在が私の心を捉えました。
上の写真をご覧くださいませ。
右が善吉、左が芳蔵のたこぼうず。
父善吉を語ることなしに、息子芳蔵を語れず。
私は芳蔵のたこぼうずに、
善吉のものにはない「吹っ切れなさ」を感じます。
たこぼうずという異形のこけしを生み出した父善吉。
その父と同じこけし工人の道を歩んだ、息子芳蔵。
その心中や如何に。


岩本芳蔵は明治45年、栃木県鹿沼にて、
岩本善吉と彼の8番目の妻シゲの次男として、生を受けました。
ちなみに「芳蔵」という名は、呉服業を営んでいた善吉の父から取ったものと思われます。
芳蔵が物心ついた頃には、すでに家業は傾き、
善吉は芸者に踊りを教えて生活していました。
大正11年、芳蔵11歳の時に、善吉は家族を喜多方において、
単身中ノ沢に移り、磯谷茂の山市商店に雇われます。
善吉の生活は相変わらずデタラメで、家族への仕送りもままならず、
喜多方から小学生の芳蔵が生活費を受け取りに来ることも度々あったとか。
翌年、善吉は中ノ沢に家族を呼び寄せ、
芳蔵は、中ノ沢小学校卒業後、こけしを作り始めた善吉を師匠と仰いで、
木地修行を始めます。
芳蔵16歳の時、木地挽きの最中に善吉からウシ(カンナのこと)で頭を殴られ、家出。
一体、何があったのでしょうか・・・。
当時、職人の世界では、技は口で教えるものではなく、
師匠の手を見て盗むもの。
鉄拳制裁は当たり前でした。
しかし、まさかカンナが振ってくるとは芳蔵も思っていなかったのか、
このクソ親父!と飛び出した先は西村屋。
飲んで騒いで遊び尽くし(血は争えませぬ。)、翌朝ふらふら帰宅して、東京へ。
一年間で6軒の木地工場を転々とします。
鈴木庄吉のひょうたん下駄製造のため、
ゆうの原に移りましたが、庄吉の娘と結婚を迫られたため、ふたたび東京へ出奔。
箱根湯元の小川助治郎工場で、1日550個のけん玉を挽いて技を磨き、
翌年、意気揚々と中ノ沢に戻りましたが、
善吉に「絵の具のことを分かっとらん!」と追い返され、小川工場に舞い戻ります。
4年後、ふたたび中ノ沢に戻りますが、
またまた「白い手の木地屋が家の敷居をまたぐことはならん!」と善吉に言われ、
土方や営林署の労夫をして、汗と土にまみれます。
磯谷の工場で雇われますが、磯谷と喧嘩して工場を飛び出し、
やがて善吉に許され、22歳の頃からこけしを作り始めました。

善吉は「人の真似を絶対にしない。」ことを信条に、こけしを作っていましたから、
もちろん息子の芳蔵にも、善吉型を作ることを禁じ、
本人型を追求するように言い聞かせました。
芳蔵の本人型、それがこちらでございます。

★画像2



・・・可愛いらしいじゃありませんか。
胴体の牡丹模様は善吉のたこぼうずを踏襲しているとはいえ、
この純朴な顔は、まったくの別物。
前髪や眉が濃いせいか、全体的にもったりした感じがします。
この「もったり感」。
芳蔵こけしの特徴だと思います。

芳蔵がこけしを作り始めた翌年、昭和9年に、
父善吉が心臓病で亡くなります。56歳。
芳蔵が23歳の時でした。

その後、売れ残った善吉のたこぼうずの始末に困った芳蔵は、
2年後に川口貫一郎が訪ねてくるまで、
ダルマストーブの薪代わりにくべていました。
しんしんと雪の降る中ノ沢で、
ダルマストーブの炎になめられる父のこけしを見つめながら、
芳蔵の胸に去来していた思いは、さぞ複雑だったことでしょう。

しかし、その後善吉のたこぼうずの評価は高まり、
昭和31年、小野洸に請われて、
芳蔵は父に禁じられていた善吉型のこけしを復元します。
戦後は、善吉型のこけし製作に励み、高い評価を得ましたが、
晩年、中風に悩まされ、昭和48年、62歳で世を去ります。


芳蔵の手による善吉型は、確かに善吉のものとそっくりですが、
やはり線が「もったり」しています。
特に表情が善吉のものほど呆けてないと申しますか、
洒脱さに欠けると申しますか、決して悪いことではないのですが、
酔っ払いつつも、終電の時間が気になるサラリーマンのような、
「タクシーどこで捕まえようかなぁ。」と、頭の隅で考えている顔です。
芳蔵は、たこぼうずの顔を描きながら、
きっとどこかで、「親父が見たら、怒るだろうなぁ。」と考えていたに違いありません。
いつの間にか作らなくなった自分自身のこけしのことが、
頭をかすめることもあったでしょう。

しかし、芳蔵が善吉型を復元し、弟子を育てたことによって、
たこぼうずはこけし界で特異な一ジャンルを築くことになりました。
あの世で善吉は「この馬鹿野郎!」と青筋を立てていることでしょうし、
芳蔵は今度はどこへ出奔するか、頭を悩ませていることでしょう。


                                               著 猫空

★画像1 『こけし 美と系譜』鹿間時夫・中屋惣舜著(社会思想社1966年刊)
★画像2 西田記念館より頂戴しました。

★参考文献
 『こけし辞典』鹿間時夫・中屋惣舜編(東京堂出版1971年刊)
| こけしぼっこ | 16:16 | - | - |
こけし小噺 第一回 「たこぼうずのはじまり」



  深くて濃ゆ〜いこけしの森の入り口に、
ようやく立った仙台こけしぼっこ。
点々と光る道しるべを頼りに、あっちをウロウロこっちをウロウロ。
でも、まだまだ目が慣れないせいか、森の中は真っ暗です。
こけしの森に立ち並ぶ、あんなこけしやこんなこけし。
どうしてこんな模様なの?一体どんな人が作ったの?
それぞれが持つ物語を、少しずつ勉強して、
こちらに紹介していこうと思います。
どうぞお付き合いくださいませ。

 
 さて、記念すべき第一回は、
福島の中ノ沢温泉を中心に作られているこけし、
通称「たこぼうず」の起源について。
こけしの森にて強烈な個性を放ち、
花に例えるなら、そう、まるでラフレシアのよう。
一度見たら忘れられないこのこけしに、
私、猫空はすっかりイカレコレ。
ついには息子がたこぼうずを嫁に連れてくる夢まで見る始末。
酔っ払いのように赤く隈どられた目は、
かっと見開かれ、虚空を見つめています。
可憐、素朴な東北の少女を彷彿とさせるこけしが多いなか、
このこけしは性別すらあやしい。
宴席で女装したおっさんのようです。
こんな奇天烈なこけしを生み出した岩本善吉とは、
一体どんな御仁だったのか。
『こけし辞典』をひも解いてみました。

 
 岩本善吉は明治
10
年、
宇都宮市に呉服屋の次男として生を受けました。
幼い頃に、芸妓屋に養子に出されたものの、
明治
27
年に、兄金太郎が病死したため、
実家に呼び戻されます。
しかし、すでに立派な遊び人に成り果てていた善吉は、
家業などそっちのけ。
ある時は、歌舞伎の真似事をしてトンボを切り、
またある時は、軽業一座に加わって一輪車で綱渡り、
またある時は、出初式の梯子乗りで転げ落ち、
全身の傷は
48
ヶ所にのぼったとか。
その上、大の喧嘩好きで、数々の修羅場をくぐりぬけ、
ついには「宇都宮の小天狗」と呼ばれる有様。
もちろん家業は傾き、明治
34
年、故郷を離れ、
流浪の旅が始まります。
東京浅草で習った木工旋盤で身を立て、
一時は
18
人の職人を雇って工場を新築し、
山林を買うほど羽振りが良かったものの、
大正の不況で事業不振に陥り、また各地を放浪。
福島の中ノ沢に落ち着いたのは、
大正
11年、善吉46
歳の時でした。
その後、磯谷茂の山一商店の注文を受けて、こけしを作り始め、
「人の真似を絶対にしない。」ことを信条に、
独創的なこけしを作り続けます。
胴に描かれた鮮やかな牡丹は、須賀川の牡丹園にちなむとも、
また、得意の入墨から想を得たとも言われており、
十八番の逆さカッポレ
(逆立ちして股に張子の面をはさんで踊る。
)
に使う張子の面が、善吉こけしの顔によく似ていたそうです。
中ノ沢でも破天荒ぶりを発揮した善吉は、
昭和
9年、心臓発作で死去。58歳でした。

 
 奔放な生活の中で、
ろくろを挽いてこけしと向き合う時間は、
彼にとって何だったのか。
製作期間は
9
年と、決して長くはなく、
遺作もそう多くありません。
しかも、彼のこけしはさっぱり売れず、
その死後、持て余した息子芳蔵によって、
ダルマストーブに薪代わりにくべられていたところを、
川口貫一郎に救われ、今に残っています。
善吉のこけしを眺めていると、
最初はその異様な面貌と、迫力に気圧されますが、
その内、その表情にどことなく諦念を感じるようになります。
宴の最中に、ふと我に返ったようなその顔は、
過ぎたことは過ぎたこと、しかたないしかたない、
と呟いているかのよう。
気がつけば、このこけしに心癒されている自分がいます。
まるでいつも善吉こけしと一緒のような口ぶりですが、
一本も持っておりません。今や高値の華ですから。
図版を眺めてはため息を吐く、今日この頃。

 そんなたこぼうずは息子芳蔵に受け継がれ、
芳蔵からさらに数人の工人に伝授され、
それぞれ個性豊かなたこワールドを展開しています。
芳蔵とその後のたこぼうずについては、また次回に。

 

★参考文献 

・『こけし辞典』鹿間時夫・中屋惣舜編 (東京堂出版1971年刊)

・『木の花第拾三号・第弐拾七号』こけしの会編

★画像は『こけし 美と系譜』鹿間時夫・中屋惣舜著(社会思想社1966年刊)より転載
 右側が善吉こけし、左側は息子芳蔵のも
 お願い:出版社が廃業したため、この写真の著作権者が不明です。
     ご存知の方は、どうぞお知らせくださいませ。

| こけしぼっこ | 21:49 | - | - |
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